知能検査で正しいアセスメント(評価)を
知能検査は、その子どものその時期の知的発達の状況をアセスメント(評価)する道具です。身長や体重を測るのとは違い、直接何センチや何グラムと目で見るようには測れない精神機能を、できるだけ客観的にできるだけ科学的に捉えようと、工夫された道具が知能検査になります。
長年の歳月を費やして研究され、開発され続けてきた道具です。道具は、人が使うもの(手段)であって、道具そのものには意思はありません。どのように使われるかが問題なのです。
ビネー(アルフレッド・ビネー 1857-1911年フランス生)が知能検査を開発したのは、発達に遅れの見られる子どもを選別するためと言われます。
しかし、彼が真実目指したものは、子ども一人ひとりの発達に合った、個性に照準を合わせた教育を施すことでした。つまり、そのためにできうる限り正しい評価法が求められたのです。ビネー以前の評価の方法は、子どもの顔つきを見たり、頭の大きさを測定したりしていました。当然のことながら、この方法では正しい評価はできませんでした。子どもの実体とはかけ離れてアセスメントがされていたのです。
知能検査を差別の道具だと切り捨てるのは簡単です。ですが、子どもの発達の違いを無視して全員が同じ教育方法でなければならないというのも個性伸長の精神に反すると思います。
私は、多くの子どもたちに知能検査を通して保護者のカウンセリングを行ってきました。保護者は、様々な心配を抱えて子どもを育てています。
「他の子どもと比べて言葉が遅いようで……」「何度、同じことを注意しても……」「興味が偏っているみたいで……」などです。保護者の取り越し苦労もあれば、早期の対応が必要な場合もあります。その見立てには、正しいアセスメントが必要となります。
個別式(ビネー式)知能検査を通して子どもを観察しますと、その子どもの発達の状態や特徴(何が得意で何が不得手か、考え方やものの捉え方など)、興味関心が何であるのか、などが実によく分ります。例えば、その問題に正答を得られなかったとして、なぜこのような誤り方をするのかを分析しますと、その子どもにはどんなアプローチの仕方が適しているのかが見えてきます。
また思いがけず、検査を受ける過程で子どもが自信を取り戻したり、あんなに落ち着かない子がずいぶん頑張ったりと、保護者の見方が変化することもあります。遅れだけでなく、発達に偏りがあり、他の子どもより先に発達した子どもが、一斉の授業や集団の中では適応できないことがあります。これもしっかりアセスメントして、それに応じて教育方法を立案することが重要となります。これらの子どもたちを支援するのが私の仕事であり、知能検査を実施するのは、きちんとアセスメントしてケアの手がかりを得るためです。
子どもの個性(知的発達の違いも個性に他ならない)に照らした教育をするための道具として知能検査はあります。
きちんとアセスメントされてはじめて、個に応じた教育メニューを作ることができるのではないでしょうか。医者が正しく診断してはじめて、良い治療ができるのです。心と同じように知能は目に見ませんので、それを知り得る方法には、様々な限界があるのは当然です。しかし、それを十分承知しながらも、知能検査を活用するほうが、子どもにとって公平であると思います。
平等をうたうだけで、個に応じた教育を放棄したり、何もケアしなかったり、大人の勝手な主観で子どもが評価されたりしたのでは、子どものためにはならないと思います。それではビネーが知能検査を作る以前に戻ってしまうだけではないでしょうか。
差別は、知能検査や特殊教育を受けることに原因があるのではありません。ハンディを持つことを嫌なことだとする社会やそう考える人々の心に源があります。
ハンディを持つことで不利益を被らないように、皆で努力し続けることこそが重要なのではないでしょうか。